ましろ blog

~自己完結型ADHD人間の生態と備忘録~

もし私のADHDが30年前に分かってたとしても・・・

家庭では変わらない扱いを受けてるだろうなと想像します。

父親は激高してコイツは使えない、出来損ない( 治るものではないし)と言っては私や母親を責めてくるでしょうし、病院や投薬が手間だとか煩わせやがって、とか、出来損ないらしく○○ぐらいしろ、とか余計な家事を押し付けられてたかもしれないので、障害が分かってなかった方がまだマシだったかもしれない。

母親は母親で、父親の愚痴を私に言う、あんたのせいで私が怒られるんだからね、あんたの△△な所は父親そっくりだ( 嫌悪感たっぷりの顔で)、とか言って私を責める。これもどっちみちな気がする。

たとえ学校や病院が熱心に治療を進めようとしても、うちは大丈夫だからと言って

治療や進学を拒んだろうなあ。お金と手間がかかることはほんとに嫌がってたから。ついでに、遺伝の要素があるなんて分かったら盛大に「 お前に似たんだ」っていうなすり合いが始まって、親たちは自分が発達障害かもしれないなんて認めたくないから余計に私の事は見て見ぬフリされ、私の心は早々に「 生まれてこなければ良かった」と傷を負うことになったでしょう・・・

 

両親に恵まれないと人生って狂いますね。