ましろ blog

~自己完結型ADHD人間の生態と備忘録~

仮面は外したいし鎧は脱ぎたい、楽になりたい。

いつになれば私は「いい人を演じなければ存在すら許されない」というような気持ちを捨てられるのか。私はいい人を演じてきた。作業所でも皆に頼られた。でも誰とも仲良くなってない。心の交流がない。また独りになる。いい人を演じていい事なんてあっただろうか?その場をしのげるだけではなかったか?嫌われはしなくても好かれることもなくただ通り過ぎるだけではなかったか?存在を否定され続けた十数年をいまでもまだ引きずっているのではないか?裏切られるなら信用すまいと心に誓った幼い頃と何も変わっていないのではないか?親からの虐待も、発達障害も、性的マイノリティも、本当の私なのに、何故隠そうとしてしまうのか?本当の私は誰からも愛されないと考えるだけで涙が出るほど辛いのに誰にも話せないのは、恐怖からだけなのか?

もう3年近くカウンセリングに通っている。いい人をやめたいと、言えないままでいる。