ましろ blog

~自己完結型ADHD人間の生態と備忘録~

帰り際にはいつもありがとうと言われるけど

私に付き合おうと言ったり友人になったり友達以上だけど恋人とは思ってないのにましろさんとは結婚できないとか言い出したりする現在友人の男性の母親について書きたくなった。

友人は成人して精神的な病気を発症したので、それまではどのような距離感だったのかはよく分からないが、友人が病気になって、友人母は友人をとても甘やかしているように見える。作業所のスタッフも、彼はお母さんが甘いからねと言う。

しょっちゅう喧嘩している。仲が良くはない。友人は親離れが出来てないと思うし友人母は子離れできてないように思う。私は機能不全家庭育ちなので余計に甘えの関係が気になるのかもしれない。友人は横柄に母親をこき使う。母親は文句を言いながら、結局やってあげている。

友人と知り合って間もない頃、友人は精神的に調子が悪くて、病気を発症した時と同じ症状だ出た事があった。母親を激しくなじり、言ってることが支離滅裂だったりした。私はその日、友人が飲酒した為に友人母の車で送ってもらっていたように思う。もうすぐ自宅に着くところで、友人の具合が悪くなった。友人母は、私に「今夜息子とどこかで一泊して欲しい」と言い出した。

相当驚いた。付き合ってもなかったのに、というか、発症しそうな危険な状態の我が子を一晩頼むと私に預けたのだった。私は断れなかった。友人を助けたいとも思った。今思えばとんでもなく危険な事だったのだけど。

私のアパートから目と鼻の先のビジネスホテルに入り、友人母は宿を取り、お金を払い、眠剤がないから眠れないと騒ぐ息子の為にまた往復して薬を届けに来た。私は驚いてばかりだった。

友人母がそういう行動を取ったのは、同居してる孫のサッカーの試合が翌日に控えているから、だった。一緒に泊まっていては間に合わないからと言った。友人は混乱しきっていたけども、かろうじて私の言う事は素直に聞いていた。だから友人母は大丈夫と踏んだのだろう。

でも、友人は暴れたりこそしなかったけれど、普通ではなかった。きっと友人母もどうなるかなんて分からなかっただろうと思う。そんな状態の息子を私に丸投げした。「あの子、ましろさんの言うことは聞くから。」それで帰ろうとした。私が慌てて、連絡先を教えて下さいと言ったら、ああそう、と家の電話を教えてくれた。そして飛ぶように帰っていった。

翌日、友人は正気に戻ったようで、昨晩の事はあまり記憶にないと言った。あらかた説明すると、母親は冷たいとも言った。

その事があってから、友人母は私が帰る時は「いつもありがとうね」と言って送り出すようになった。当時は信頼されてるのかと勘違いもしていた。

お互い仕事をしていない、暇を持て余していたせいもありしょっちゅう一緒だった。朝から晩まで友人宅にいたし、夕飯をご馳走になってから帰るのが定番になっていた。友人と喧嘩する事が多くなり、私がキレて「もう会わないから!」と一切の連絡を絶った時があった。2ヶ月くらいだったと思う。

その間に、友人はまた調子が悪くなった。

車を運転できなくなり、母親が診察やドライブに連れ出していたらしい。そして、私と会えないので時間を持て余してしまった事で、友人母は「一人に深入りするな。縁が切れたときに困るのは自分なんだから、もっと浅く広く友人を増やしなさい」と友人に言ったのだという。それを友人から聞かされる私って一体・・・。

そうだよなあ。危険な状態の息子を丸投げするなんて、普通ないよなあ。深入りするなって、私と友人の間にとても立ち入った事言ってるんだけど、そういうこと親が口出しする事じゃないと思うんだけど、友人もそうやって母親が言うから、って素直に聞いてる。これ、一生続くんじゃないのかな?友人母が先回りしてなんでもかんでもこうしなさいって決め付けて、他の選択を許さなくて、友人は自分で選ぶことをしなくなって、母親に決めてもらって・・・のリピート。

ムリムリ。私は無理。すっかり依存していたけど、その他も諸々あって、やっぱりというかやっとというか、私の扱い酷くない?って気がついて冷めた。信頼されてるとかなかった。私はただ、友人親子にとって都合のいい存在だったわけだ。便利な穴埋め要員だったみたい。さっさと離れなくては。