ましろ blog

~自己完結型ADHD人間の生態と備忘録~

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前回の記事をもうちょっと細かく書いてみようと思う。コメント返信では長くなりそうなので。

私は前回の記事を書いてる時、怒っていた。言葉も突き放していたと思う。だからそこに反応があったのには、まあそうだよなと思った。とりあえず、仕事を休むのはよくない。障害があるんだから当然、とは思わない。それでも、休む事はあるけれど。もし私が休んでしまって、翌日仕事に行って謝ったとき、「いいよいいよ気にしないで」と言われたら、ほっとする反面、やはり寂しいと思う。

店主が障害のある人間も気持ちよく働ける職場にするにはどうすればいいか、と考えてくれているのを、おかしいとか無駄とは思わない。ありがたいと思う。私がおかしいと思うのは、と書くとまた違って聞こえそうなので言い換えると、それは違うんじゃない?と私が思うのは、障害者と言ってもざっくり分けただけで「身体・知的・精神・発達」とあり、それぞれ大きく異なる存在だ。フォローの仕方も変わってくる。鬱病の人と発達障害の人も、同じではない。私が専門家に頼れと書いたのは、障害を勉強して理解しろということではない。そんな事、会社側に頼むことではないと思う。障害を理解しろというのではなく、仕事をする上で必要な配慮

を知るには、専門家に聞くのが近道だと思ったからだ。誠意を持って考えてくれるのならなおさら、結果が出る方がいいと思ったからだ。私の職場ではその専門家を通しての採用だったので、店主は相談できる相手がいる。そこを省いてしまっては、勿体無いと思う。障害者といっても一概ではないと書いた。私とA君は同じ障害者という位置であっても、障害も症状も違う。私は障害者として雇用される立場にいるので、健常者の人達がどう話し合ってるのかは耳に入らない。「障害者にはこういう接し方で」というような話し合いが行われているのかもよく分からない。(話が逸れそれると戻って来れないので、ここは掘り下げないでおこう)

その話し合いで、店主と美人が「まず褒める」ことを選んだのだったら、私は前回の記事に書いた「障害者に気を使うってこういう事なのね」という気持ちになる。なるなと言われれば困る。私の正直な気持ちをここには書いているから。

私の、「配慮をしてもらえたら、仕事ができる」と思う事。「配慮をしてもらう時点で『普通ではない』が、専門家に頼って欲しいと思う」事は、甘えた考えなのかもしれない。障害者枠で仕事をしていて、それなりに色々と言われてきた。薬が変更になり体調を崩すと「飲んでる薬を元に戻せ」と指示してくる人もいたし、「発達障害は気持ちで治るんだろ?」と言う人もいた。接客業では「ましろさんは知的の人と違って見た目は普通だからいいね」という扱いもされた。「知的障害者はよく働くのに発達障害者は違うからがっかりだ」という理由で解雇された事もある。

だったら、今の職場はとても良い職場だと、なおさら思われるだろうし、私もそう思う。私は居心地良く安定して仕事をしていた。そのつもりだった。ここにきて、店主が方針を変えたこと、それまでろくに話もしなかった、来て一月足らずの新人にまで「すごーい」と言わせることが、配慮なのだとしたら、私は悲しいと思った。

褒められてるんだから受けておけ、と言われるならそうだろう。私だって嫌な顔などしなかった。ありがとうございます、とちゃんと答えた。表面上はそれで良しとなるんだろう。ただ、私が悲しいなと思うことは変えられない。

頭の中で整理できたのはこれぐらいなので、ここまで。